「疲れていると左ハンドルの運転はちょっとキツいね」と悠吾は助手席に座る妻の加奈子に向かって話しかける。
「再婚ってのいうのも何かと大変そうね。由美も旦那も連れ子は小学生よ。子ども同志はうまくやれるのかしら。由美は三度目の結婚だし、いつまで続くのかしらねえ。ま、離婚したって医者だから、なんとかなるんでしょうけどね。ああもう、このシートベルトはきつくて嫌!新車なんか買わなけりゃよかった」
加奈子は身体をよじらせながらシートベルトを外した。
加奈子の高校時代の友人神崎由美の結婚式が大磯のホテルであり、100名が参加する大きなパーティーに二人は呼ばれた。医者ばかりが集まった会で、やたらと教授や医師会関係者のスピーチが続き、悠吾には強い疲労感だけが残った。
午後11時、アウディは横浜の自宅に向かって走っている。権太坂を通りすぎた辺りで、居眠りしていた加奈子が話しかけてきた。
「最近の界は父に似てきて歴史に興味がでてきたみたい」
——また父に似てきた話しか。
前方に車が見えないので悠吾はアクセルを踏んで車を加速する。
「そういえば爺ちゃんの菩提寺には運慶の作品があったね。春の開帳に界を連れていった時、熱心に説明を聞いていた。わかってるのかね」
「わかっているのに決まってるわよ!父の血筋だもの、最近の界、顔つきも父に似てきたと思わない」
——似てないだろう。
国道一号が緩やかな右カーブに入った時、悠吾の胸ポケットにあるガラケーが鳴り始めた。誰かと確認しようと右手で取り出し片手で画面を開くと「界」という息子の名前があった。
「ほら、界から電話だ」と妻に渡す。一瞬下にむけた視線を前方に戻すと、そこには信じられない世界があった。センターラインを越えて大型トラックのヘッドライトが真正面に見えている。トラックは減速せずに猛スピードでこちらに向かって走ってくる。悠吾はクラクションを何度もならす。しかしトラックのスピードは落ちない。
——死ぬ。
目の前がトラックのヘッドライトの光で真っ白になった瞬間、激しい衝撃が全身を襲った。開いたエアバックに悠吾は圧迫され、ガチャン、グシャンという大きな破壊音とエアバックの衝撃で胸に激痛が走った。ボンヤリとした意識の中で「頼む」という思いで薄目を開けると、破壊され煙が出ているボンネットの上に真っ赤な血で染まった加奈子が見えた。
すぐに目の前が真っ暗になり悠吾は意識を失った。
その後の入院治療や妻の葬儀は思い出せない。しかし、事故の瞬間の記憶だけは9年たった今でも悠吾を襲っていた。
一年で肋骨の圧迫骨折と肺挫傷は治り身体の傷はすっかり消えたが、悠吾の心の傷は消えてはいない。車の運転は出来なくなり、事故が起きた場所に近づくだけで激しい動悸が起きた。他人が運転する車も後部座席にしか乗れない。
悠吾は半年の休養を経てから勤務していた京浜大学薬学部講師を辞めた。車を使わねばいけない場所に大学はあって、通勤する時に事故現場を必ず通らねばならない。運転ができないのでタクシーで1ヶ月ほど通ってみたが、現場が近づくとガタガタと震えだし過呼吸発作が起きた。家にいてもフラッシュバックに悪夢、パニック発作が頻発するため、大学を辞めることを決意した。
大学教授からの紹介で西新宿に支社を置く米国系製薬会社マインドフリーダム社に転職し、横浜から新宿まで湘南新宿ラインで通勤する日々が始まった。
事故後1年で悪夢はなくなり、パニック発作の回数は減ったがフラッシュバックは時々起きた。特に疲れた時や月命日の日には生じた。
外傷後ストレス障害だと悠吾は理解していたが、いずれは改善するだろうと思い、内科医の従兄が処方する薬を時々使ったりもしたが、マインドフリーダム社に勤務し二年が経っても症状は改善しなかった。
うつ病になり半年休養して回復した同僚が「ちゃんと精神科医に診てもらえよ。歌舞伎町にあるメンタルクリニックがいいぞ」と言ったので、事故から3年経過していたが同僚が勧めるメンタルクリニックに予約をいれた。
プロレスラーのように大柄で筋肉質の田中という精神科医は月に一回30分の面接時間を作ってくれる。田中医師はシングルファザーと息子との生活へのアドバイスもくれた。
「家事は分担して、男友達が一緒に生活する寮生活のようにした方がお互いのためになります。例えば、朝食と夕食は一日交代で作る、洗濯は各自で行う。互いの生活には干渉しない。夜遅くなる時とか宿泊の時はホワイトボードか何かに書いていくといった感じでしょうか……」
事故後、小学5年生だった界は学校に行けなくなったが、カウンセラーの治療を毎週受けると、半年で学校に戻り心の状態は回復した。
界が系列の私立中学に上がった時から、田中医師の推奨する生活スタイルを取り入れた。その後、生活は軌道に乗り、界は県内の一流高校へ進学し一昨年卒業して大学生になった。
子どもの回復力は大人以上に早い。
息子との二人暮らしにすっかり慣れた悠吾だが、9年たった今でもヘッドライト、衝撃、全身の痛み、血だらけの加奈子の光景が映画のワンシーンの様に、月に2-3回はフラッシュバックした。
「中ノ瀬さん、事故から9年になりますか。フラッシュバックだけが悩みですね。これは無意識に残る罪悪感のせいなんです。奥様が亡くなり、ここまでやってこられたのは、生き残ったことへの罪悪感、専門用語でサバイバーギルトと呼びます。そのギルトを毎月の墓参りで意識化しているんですよ。うつ病やアルコール依存にはならずにここまでやってきたのは、意識化のおかげです。フラッシュバックもいずれ消えるでしょう」と田中医師は太い首に、いかにも窮屈そうなネクタイを緩めながら語った。
「実は明日も妻の墓参りの日です」
「息子さんも一緒ですか」
「息子は大学生活をエンジョイしていますよ」
「きちんと距離感をつくってきたんですね」
「そういえば、先生が言うようにユーモアは喪失を救いますね、凄いアイデアですね」
「あれは私のアイデアではありません。外傷からの回復力をリジリエンスというのですが回復にはユーモアが必要です」
「いろいろと、息子にアホみたいなことをやってきました。息子はどう思っているのか解りませんがね。しかし、こうして先生に会うことで勇気やアイデアをもらって、本当に助かります」
メンタルクリニックでの診療を終え、横浜への帰路についた時、悠吾は今日の夕飯係は自分だったと思い出した。
「遅えよ」とふて腐れた界はスマホゲームをやりながら怒っている。
「ちょっと待ってろよ何かと買ってくるわ」とコンビニまで行こうとすると「腹減ったあ、待てねえよ」とカップ麺の湯を沸かし始めた。
カップラーメンが二つテーブルの上に置いてある。界はふて腐れて何も言わない。悠吾はカップ麺の中にある小さな肉を囓りながら「たまにはカップ麺もいいよな」と言うが、界は何も言わずにラーメンを啜っている。「おやすみ」と言ってさっさと自室に戻ってしまった。
一人残された悠吾は冷蔵庫に行き缶ビールを取り出してプルトップを空けゴクゴクと飲んだ。
——そうだ、もう一品いこう。
悠吾は台所の棚にあるコンビーフ缶を持ってきた。このタイプのコンビーフ缶が2020年で生産中止と知った悠吾は、スーパーを4件回って50缶買い込んだ。月に二缶づつ食べても二年は持つ。
缶詰に付属した細い棒を缶の表面に差し込み、クルクルと缶の周りを回して帯状に缶の表面を開く。ぎっしり詰まった肉が顔を見せる。パカッと牛の絵柄の方を外して、全貌を見せた赤白の混じるコンビーフをがぶりと囓った。
「うん美味い、懐かしき我が大学時代」と独り言を言いながら、2缶目の缶ビールを飲む。だいぶ悠吾の気持ちは落ち着いてきた。
「ユーモア、ユーモア」と言いながら悠吾はもう一度冷蔵庫に行き、卵を取り出し、白い殻にマジックで一つ一つに顔を描いて戻した。
——うん、これで界はごきげんになってくれるはずだ
リビングルームの一角には、加奈子と自分が一緒に写っている界の小学校入学式の写真を置いた小さな祭壇コーナーがある。
悠吾は毎日帰ると必ず線香をあげる。中学生まで界も毎日必ず線香をあげていたが高校時代からは月に一回くらいしか線香をあげなくなった。淋しい気もしたが「まっとうに成長してきたのだ」と悠吾は自分を納得させた。
ほろ酔いの悠吾は書斎兼仕事部屋にしている自室に入った。
——さてと、明日の準備だ。
カギのかかった机の一番下の引き出しを開ける。引き出しには通帳や薬剤師免許などの重要な品々が入っている。その一番奥に古い木製の箸箱があった。
箸箱にはひらがなで「なかのせ かい」と名前が彫られている。界が私立小学生に入学した時、悠吾の母が界にプレゼントしてくれたものだ。
事故の後に、加奈子の衣類や靴は全て処分し、デジカメに残る写真も事故のあった2012年のものは全て消してしまった。そうしないと悠吾自身が喪失の傷に耐えられなかった。
メンタルクリニックに行き始め、少しづつ喪失体験と気持ちが整理されてくると、妻の物品を捨てたことに後悔の感情も出てきた。
始めての海外旅行で買ったネックレス、界の入学式の時に義母が作った着物、加奈子の編んだ自分や界のセーター……。そんな時、ほとんど開けない納戸の奥に界が使っていた手彫りの箸箱を発見したのである。
それは悠吾の亡き母と亡き妻を繋いでいた思い出の品であった。
悠吾が横浜で結婚して所帯を持つことに母は反対した。悠吾は酒田市で五代つづく薬局の跡取りとして父が亡くなった後に薬局を継ぐために薬学部に入った。しかし大学での研究に未練があったし、逗子で生まれた加奈子の都会的な魅力に悠吾は惹かれていた。悠吾は一度だけ加奈子を実家に連れて行ったが、悠吾と母は加奈子の前で言い合いとなり、その状況を加奈子は悲しそうに見ていた。式もあげずに、悠吾は加奈子と籍をいれた。母が加奈子に会うことは殆どなかった。横浜の家には母は来なかったし、加奈子も悠吾の実家がある山形には行きたがらなかった。しかし、母は孫だけには会ってくれた。毎年二回、悠吾だけが山形に界を連れていくようになった。界は悠吾の母を「東北のおばあちゃん」と呼んだ。
私立小学校に界の入学がきまったが、弁当のために箸箱が必要になった。それを聞いた母は名前の掘った木製の箸箱をくれたのである。
界は加奈子がつくる弁当と母がくれた箸箱を小学1年から事故の前日まで使っていた。
加奈子の墓参りの時には箸箱を墓前に置いて手を合わせることが慣例になった。五十代のセンチメンタリズムを誰にも見せたくなかったので、いつも一人で墓参りする時だけ持参した。
一作日、リビングのソファに寝転んだ界は新しく出た文芸書を脇に置き「俺、土曜日に図書館の講座に出るんだ」と言った。
——また次の墓参りはオレだけか。
悠吾には、少しだけ淋しい気持ちが湧き上がる。
「へー、何の講座だ」
「本のリメイク講座だよ」
「本が好きだものな。そこには若い子もいるのか?」
「たぶん……いないよ」
土曜日の朝、悠吾は早く起きた。界は寝ているようだった。悠吾は会社に休日出勤し午前だけ新薬の説明書作成の続きをやり、午後一時の湘南新宿ラインを使い新宿から逗子に向かった。
逗子駅でバスに乗り20分くらいで浄楽寺に着く。途中のバスの窓からは相模湾とその向こうには伊豆半島が見える。冬の日差しは傾いてきており、薄らと海面が揺れている。大学時代、加奈子とこのバスに乗ったことを思い出す。
「うちの両親、あなたと会ってどんな顔するかしら」
「緊張するよ、この街だって始めてだ」
「悠吾のお母さん、私を受け入れてくれるかしら」
「二人で薬局を継ぐって言えば、母もわかってくれる」
「でもね、私、一人娘だからなあ」
遠い思い出に身を置いていると「次ぎは浄楽寺前です」という案内の声がしてバスは止まった。
浄楽寺には国指定重要文化財として指定されている運慶の作品、阿弥陀三尊、毘沙門天、不動明王が春と秋にだけ開帳され、その時には多くの人が訪れるので有名であった。しかし、普段は何もない静かな寺だ。
悠吾は加奈子の墓に行って、墓の前にしゃがんで、花を添え、ペットボトルにいれてきた水をあげ、箸箱を置く。そして線香の束に火をつけて、それを墓に置いた。
——加奈子、来たよ。界も元気にやっているよ。
墓の前に立って、少し暗くなった湘南の空とポッカリ浮かんだ灰色の雲を眺める。若かった加奈子の笑顔を思い出していると、ライン着信音が「ピンポン」と鳴った。
界からだった。
「ごめん(_ _) スパニッシュオムレツは中止。友達とカラオケ行くので夕飯は一人でお願いします」
——あの彼女と一緒か、今日は男一人で飲むか。
逗子駅の南口の駅前通りを左に向かって歩いて行くとMermaid と明かりがつく洒落たBarがあった。一度も入ったことはないが、その日は6時を過ぎていたので明かりが目立った。
アイアンバーを引いて店に入る。店には客はいなかった。
「いらっしゃい」
白いワイシャツに黒いカマーベストと黒い蝶ネクタイ、顎髭のマスターが静かに言った。
カウンターの奥の棚にはさまざまな色の酒瓶が並んでいる。その中のある緑の瓶に白いラベルのウィスキーが目にはいってきた。
「ラフロイグをロックでお願いします」
「アイラモルトが好きなんですね」とマスターは嬉しそうに微笑む。
丸い氷の入ったウィスキーググラスを手にとると芳醇なピートの香りが広がる。そして一口飲む。
「美味いですね」
マスターは優しい瞳で微笑んでいる。こんな時にも妻と良く飲んだアイラモルトを頼んでしまう自分がいる。悠吾は鞄から箸箱を出してカウンターに置いた。箸箱の角はこすれて丸くなり木も少し剥げている。以前に箸箱を出して注意されたレストランがあったので、グラスを拭いているマスターに「これ、今、使ってませんから」と言う。
「わかっています。思い出の品でしょう」
「そう……」
悠吾は棚に並ぶ色とりどりの酒瓶にもう一度目を向けた
後ろでドアが開く音に続いて「こんばんは」という女性の声がした。
悠吾が反射的に後ろを振り返ると、肩まであるダーブラウンの髪が軽くカールされ、白いシャツに茶色のパンツ姿の女性が立っていた。
女性は悠吾から一つ席を空けた場所に座った。
「お疲れ様でした、いつのもので良いですか」
「少し濃いめでお願いしますね」
マスターは慣れた手つきでマッカランのソーダ割りを作り女性の前に置いた。
悠吾は横目でチラリと見る。マスターの方に顔を向けた女性は、眉が綺麗に整い、黒目がちの目、薄い唇、わりと品のある顔立ちだった。悠吾と女性の間の席に置いたショルダーバッグは見たことのあるブランドバッグだ。
——たぶん、自分と同じバブル世代。
先日会社で10年後輩と話していた時、就職氷河期に大学生だった女性とバブル時代だった女性は歳をとっても持ち物が違うと言う持論を展開していたが、それには妙に説得力があった。彼はバブル時代に採用された女性上司は部下の男性への扱いが粗暴だと嘆く。「あの頃、俺たちはアッシー君だったんだぜ、でも仕事はできるからさ、がんばれよ」と悠吾は後輩を慰めた。
9年前、40代後半でも、あえて左ハンドルの外車を買ったことも、夫婦のバブル時代へ回帰だったのだと思う。「新車なんか買わなければよかった」という加奈子の言葉が蘇る。それを払拭するかのように悠吾はグラスを口に運んだ。
その時、横から艶やかな女性の声がした。
「それ天然木の名入り箸箱でしょ。私も昔使っていたわ……」
優しく微笑む笑顔に悠吾は懐かしい感情が蘇った。
この記事へのコメント
藤村邦
かがわとわ
前リレー小説に続き、コメントいただきましてありがとうございます。
一話で卵に顔が書かれている冒頭は、実際に私が子ども時代にしたことです。小説では悠吾に書かせました。(^^)
二話、さすがに専門的でしょ? これからの藤村邦回も楽しみにしてくださいね。
続く三話は、あの方(誰でしょう?) です。こちらもお楽しみに。ふふ。
カラーピーマン
フラッシュバックは罪悪感からくることもあるのですね。私は酷いことをされた人や、過酷な経験をした人がなるものだと勝手に思っていました。専門的なベースの上に書かれているので、とても勉強になりました。ユーモアはどんな時も人を救うものだということも。
>殻にマジックで一つ一つに顔を描いて戻した。
まずはこれをやってみます。考えただけで楽しくなって来ました♪
次号も楽しみにしています。ありがとうございました。